金日正記念館の見学が終わって、バスでは、約10分間ぐらいの距離のここに連れて昼食をします。
この建物の名前は、忘れてしまいました。私たちは、ここの二階で食事をします。
中国沿岸地方の山東省から来た人たちと同じテーブルで食事をします。事前は、面識もありませんが、仲良しに付き合ってくれました。真中に座っている方は、ある会社の経営者だそうです。朝鮮レストランに使用する食器を見てください。お箸は、割り箸などはいっさい使わないのですよ。殆ど金属製の箸です。ビールは、一本中国貸5元≒日本貸70円です。
食事が終わって、少し外で散歩しますと、また軍人に出会います。朝鮮軍人の多さに印象深いことです。
昼食が終わってから、妙香山から平壤市に戻ってきました。今度、中国人民抗美援朝志願軍記念館を見学することにいします。これは、志願軍記念館を設けてある丘から撮影した平壤市の風景です。建物に飾っている垂れ幕は、どこかの会社の広告だと思われるのではありませんか。違います!これは、7.27戦争勝利記念日の宣伝画です。一階には、普通の平壤市民が買物する場所ーー商店です。
ハングルの看板は読めないからお店であることは知らなかったです。しかし、近づいて見ますと商品はあまり豊富ではないのですが、百貨店ようですよ。もう志願軍記念館がどうでもいいから、すぐ中に入って、みようとするところ、朝鮮監視員が慌てて、追いかけてきて、私たち中国の観光客を追い出しました。最初、私たちが入ってきたことを気が付かなかったらしいですが、監視員が入った途端、店員もすぐ何かの禍に見舞われたように、顔色が変わったのですよ。普通市民の生活に無ければならない百貨店なんかを見学したいだけでも許してくれないことは、不思議な国ですね。
お店の中にいれてもらえないから、外から撮ろうとするしか有りません。ちなみにこのお店に入って、数枚の写真を撮りました。しかし、バスに戻って、監視員が私の傍に座って、カメラを出せ!検査させろ!写真を削除しろ!と言われました。いやだと言っても、仕方が無いので、彼の意思に従って、お店に撮った数枚の写真を削除しました。ついでに、このお店ではなくて、お店の傍にあるバス停の写真も削除しろと言われました。お店と関係ないよ!と言っても、削除しなさい!と言われました。本当にいやな気分になりました。
これは、平壤街角に良く見られる風景です。ほとんどこんな服装をしています。
中国人民抗美援朝志願軍記念館の見学が終わって、平壤の地下鉄を見学させてくれました。平壤の地下鉄の中に一番綺麗な二つの駅を選んで見せてくれるのだと思います。駅の入り口は、写真を撮ってはいけないと言われましたが、中に入ってからどうぞ撮ってもいいよと言われました。
これは、普通の平壤市民が利用する地下鉄です。地下鉄の料金は、距離と関係なく、1人2WONです。後ろビデオカメラを撮っている人は、朝鮮旅行社のカメラマンです。私たちが平壤についてかた、ずーと私たちと一緒に行動します。撮ったビデオをVCDに作って、一枚150元≒2100円で売ります。帰国する日の朝、渡されました。持ち帰って家でゆっくり見ますと、あまり沢山撮ってくれなかったようです。この朝鮮人カメラマンが撮影した朝鮮旅行VCD(中国語)にご興味があれば、どうぞご連絡ください。
平壤市には、地下鉄が2本あります。地下鉄の深さは、100M〜120Mだそうです。私たちに見学させるこの二つの駅は、本当に綺麗な駅でした。
ここは、地下鉄の出口です。監視員がいないうちに急いで撮っておきましょう。
ここは、地下鉄の出入り口なのか、または地下横断歩道なのかは、不明です。後ろの看板は、政治宣伝画だということは分かります。
これは、平壤街角のバス停です。
下校したばかりの子供たち。
バス停から離れても、乗客を乗せてくれた路線バス。とても親切ですね。しかし、私が住む上海の路線バスは、バス停が過ぎましたら、交通ルールが違反だと言って、絶対に止まってくれません。
平壤に走っている電車です。
私も、平壤市民と一緒にこの電車を乗ってみたいと思いますが、なかなか実現できません。
もう午後五時ごろになりました。地下鉄の見学が終わってから、主体思想塔を見学する為に、大同江辺のここに連れてきました。広場の名前が忘れました。
7.27戦争勝利という祝日は、国旗に飾られている北朝鮮政府機関の建物です。
祝日の雰囲気につつまれた広場です。私の背中の方には、大同江です。
これは、主体思想塔です。
主体思想塔は、私たちが立っている大同江の対岸にあります。遠い対岸の主体思想塔の下に大勢の人々が群がっているのが見えます。金日成主席に献花しに来たらしいです。
朝鮮ガイドの金さんとカメラマンの二人は、私たちのために記念写真を撮ってくれました。
大同江辺 <+ ))><< を釣っている人たち。
大同江辺の恋愛風景です。
大同江辺の自転車です。
幸せな若者カップルです。
大同江辺の見学が終わって、平壤凱旋門の見学です。
平壤の凱旋門は、パリの凱旋門より10メートル高いそうです。1984年、建設したそうです。
花岡石で出来た立派な門です。
凱旋門の向こう側に公園があります。
祝日の公園には、人々が大勢います。
公園の近くに体育館みたいな所です。
ここは、たぶん映画館でしょうね。
トロリーバスが走ってきました。
バスがポロポロでも、市民が沢山乗っています。
軍人も多いし、軍用車が多いようです。
私が乗っているバスから撮った写真です。遠いからはっきり見えないのですが、男性の交通違反者をつかまった女警察です。
平壤では、良く見られる女性の交通警察官です。ガイドの金さんのお話によりますと、女性の仕事を増やそうとする狙いもありますし、女性警察官は、男性警察官より格好がいいですし、男女平等を実現させようとする目的もあるそうです。
現在の朝鮮は、100人の中には、約55人が女性です。亭主関白の大男主義を無くす為にもなるそうです。
平壌廻旋門の見学が終わってから、故金日成主席の生まれ家を案内してくれました。
故金日成主席の生まれ家の入った所です。
故金日成主席の生まれ家の見学が、終わって、この土産物屋のおかみさんから朝鮮銀貨、羽毛団扇などを買いました。綺麗な女性です。残念な事、持っていたカメラが良くなくて、手振れしてしまいました。
故金日成主席の生まれ家がある公園の小山から撮った北朝鮮の風景です。
故金日成主席の生まれ家がある公園にある記念碑です。
2005年7月27日、一日の見学が終えてからの夕食が、とても美味しいです。
このレストランでも、食べ飲みながらも店員さんが歌って、喜ばしてくれました。
大いに喜んだ私たち中国人の観光客です。
夕食が終わってから、店員たちが見送ってくれました。なかなか綺麗なレストランですが、途中でオシッコをしたいと言ってしまいましたら、訳が分からなくても笑われました。ガイドの女性の金さんが、箸を放して、門外まで案内してから、木立ちに指差してどうぞと言われました。はじめてこのレストランはトイレがないことが分かりました。幸い僕がおとこなので、どこでもかまいませんが、もし女性ならば、木立ちにもどうぞ!と言ったのでしょうか!ここの女性店員もこの木立ちにオシッコをするの?!とかと空想してきました。
われわれ中国人観光客は、みんな綺麗な店員さんと一緒に記念写真を撮ったのです。
夕食が終わってホテルに戻りました。夜8時なので、全然寝る気は有りません。少し休憩してから、平壌の夜景を見ておこうと思って、一人だけでこの羊角島インタナショナルホテルから出ました。しかし、このホテルから外に抜ける唯一の道に北朝鮮国家安全局の監視員さんの数人が立っており、外出しようとする私の背影を見て、朝鮮語で呼びかけてきました。通じないのを見て、また中国語で「こんばんは」と呼びかけてきました。呼応しましたら、すぐお客様!街灯もなく真っ暗な外は、危ないからお戻りください!と言われました。仕方がなくて、ホテルに戻ろうとしました。しかし、ホテルへ帰る道に、横小道の遠い所に明かりを見ました。そこに近づいて見ましたら、テントのバーです。嬉しい!中に入って、朝鮮の地ビール、タバコとピーナツを頼んで、一人だけで飲み始めました。
ビールを飲み始めてから間もなく外が大雨が降ってきました。このテントバーのお客は、私一人だけです。そのとき、隣のテーブルには、7〜8人ぐらいの店員さんたちが焼肉をし始めました。ひとりぽっちの私を寂しそうにビールを飲んでいる光景を見て、手招きして、招待してくれました。まさか、朝鮮人たちと一緒に飲むチャンスに恵まれるなんかとは、思いもよらない事です。厚かましくても、すぐ隣のテーブルに移っていきました。たくさんの焼肉が挟まれて、熱心に招待してくれました。言葉が通じませんが、その北朝鮮人の親切さにすっかり感動されました。こっそりと持っていた朝鮮のお金は、全て使ってしまいました。それで、私は、中国貨100元を出して、これで買物できますか?と聞きました。向こうは、良いよ!と承諾してくれました。いくらになるのかな?!と緊張に思っているうち、電卓が出され、びっくりしました。ここでは、100元が30000Wの価値があるのですよ。いつも連れて行った外国人専用店では、100元は、1600W〜1800Wの価値しかないのに、ここの闇レートでは、20倍ぐらいの差があることがはじめて分かりました。ここの人々は、一ヶ月のお給料は、普通は5000W、高い人は、20000Wです。たった100元を出せば、30000Wonを貰えるのか!!! 私は、いっき王様気分になりました。このお店の店員さんの全員にコーラをご馳走しました。おじいさんの二人にタバコとビールを上げました。店員の全員が歓声を上げて、喜んでくれました。その夜、最後、金剛山という北朝鮮の一番高級のタバコを2カートンを買って、30000wを使い切れてからホテルに戻りました。お店のマスターさんには、明日また行きますと約束しましたが、結局翌日の都合が悪くて行けないことを残念に思います。
7月28日、北朝鮮旅行の三日目の朝です。羊角島国際ホテルの一階にて朝食の場面です。すぐお分かりになると思いますが、我々中国人の観光客ばかりです。 もちろん、私たち中国人の観光客はとても満足しています。
朝食が終わってから、世界でも有名な板門店を見学に行きました。ここは入り口です。
入り口に入ってから、しばらくここに待機されています。
抗美援朝(朝鮮)戦争の停戦記念館だそうです。
普通は、軍人を撮影してはいけないのですが、ここだけOK!ですよ。観光客の皆さんは、争って軍人の手を取って記念撮影します。
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この男たちの二人は、我々中国人の観光客ではなく、北朝鮮側の監視員 ようです。
監視員たちの後ろの柵を通して、外を見ますと、牛が悠々と草を食べています。
故金日成主席がある夜、書類にサインをしてから無くなられたそうです。記念する為、このサインを石碑にしました。
抗美援朝(朝鮮)戦争の停戦協議書は、右の白部屋の中に締結したようです。白い部屋の外の真ん中に軍人が立っていますが、これは、国境だそうです。この白い部屋の中に入ってから南北朝鮮が自由に行き来できるのです。我々は、エアコンの室外 機が置いてある白い部屋に入りました。この白い部屋は、両方使える部屋です。北側の観光客が入ると、南側の門を閉めて入りません。逆に、南側の観光客が入るとこっちの門を閉めておくそうです。
この写真の雰囲気からも、同じ民族の南北であっても如何に敵対しているかがお分かりになるでしょう。 以前、この真ん中の境線を誤って超えて、ただちに射殺された観光客が数人いましたよ!と我々中国側の案内員が厳重に注意してくれました。
部屋の中に入った観光客を覗いてみる南側の軍人だそうです。
室内に入ったこの二人は、北の軍人であることは言わなくてお分かりですね。
窓の外に立っている北の軍人です。さすが真ん中にあるコンクリート境線には超えていないですよね。
見学が終わって、外に出てくる我々中国の観光客たちです。左側の北朝鮮旅行社カメラマンがずっと取っているぶりをしていますが、最後の日に渡されたVCDの中には何も撮っていないようです。
北朝鮮の国旗は遠くからでも綺麗に見えています。
これは、板門店の南側です。芝生にある看板のハングルは、自由故郷という意味だそうです。
この気象台のような建物は、いったい何なのかがさっぱり分かりません。
我々中国人の案内員は、ほら!アイツ!アメリカ軍人だよ!と注意してくれました。
タバコが吸い終わって、ベランダの中に立っている北の軍人です。
南北を隔てる 右側の鉄網は、はっきりお見えですね。
バスの車窓から撮った板門店の出口に立っている兵隊さん。
板門店の見学が終わってから高麗博物館の見学です。ちなみに北朝鮮市民の入場料金は、大人が10WONだそうです。
ここの庭は、とても静かで綺麗なです。
この建物の右側の壁画がとても綺麗です。
昔数百年前の大学だそうです。昔の大学生さんはこのような部屋で勉強していたそうです。
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龍のように勉強しているうちには、目を瞑って眠ってはいけない!とわざと龍の彫刻を置いてあるそうです。
朝鮮民族の服をしている婦人。見学が終え、売店で土産物を買っている中国人の観光客たちです。
こんな綺麗な所は、いったいどんな場所でしょうか?
昔のお金持ちさんの別荘だそうです。
こんな所にも大きい時計を置いてあるのですよ。いったい誰の為なのでしょうか?
私たちの昼食ラストランです。高くとも言えない2400元≒35000日本円ぐらいの四日三泊の旅行代ですが、こんな高級な所で食事をする事ができて、大変うれしいです。ここの名物は、高麗人参鶏 スープです。事前には予約必須です。高麗人参鶏スープは、一個が350元≒5000日本円の高価です。しかし、とても人気です。
これは、映画館か?駅か?または病院なのか?全然分かりません。
このような静かで綺麗な町並みが大好き!です。
北朝鮮の市民の皆さんは、このようなアパートに住んでいます。
高速道路のそばにある市民の住宅棟らしいです。
高麗博物館の見学が終わって、午後平壌市に戻ってきました。また、外国人専用のお土産物屋さんを案内してくれました。店員さんは、結構綺麗なお嬢さんたちばかりです。
店内には、テレビや冷蔵庫なども売っています。このVCDの値札からでも分かるのですが、赤い数字は、北朝鮮のWONです。黒数字は、ユーロです。右上の値札をご覧ください。160WON=1ユーロです。1ユーロは、10元です。すなわち、1元は、16WONですよ。
高麗人参酒や高麗人参の製品も多いです。
金貨や銀貨の価格をご覧ください。赤数字はユーロですよ!
私は、コインや紙幣にはとても興味があるのですが、こんな高価の物は諦めてしまいました。
土産物屋さんでの買い物が終わって 、乗車する前に外に出て、すぐ傍には、このような風景が見えました。
カメラを出して撮ってしまいました。
住宅棟ような建物を造っています。機械があまり使わなくて、人力ばかりの建築ですね。真夏の日差しの下は、大変ですよ。この監視員が慌てて撮るのを止め させました。そして、バスに乗って、私のそばに座って、カメラを出して検査させろ!と命令しました。私は向きになって、いやだと断ったのですよ。車内の別の観光客の中には、監視員さんたちも苦しい立場ですよ。彼らは、上司に言われてから、止め るのは、やむ得ないことですよ。彼はもし制止しないとすべて彼の責任になるよ !とか色々議論されました。私は内心には、彼に申し訳ないと思いますが、せっかく撮った写真を削除されるのは本当にいやでならないのですよ。 このような具合が悪い場面を他人に見せたくない、綺麗な所ばかりを見せたい気持ちが分かるのですよ。しかし良くない所もある事こそ真実ではないかと思います
また、バスに乗っていて、次は万景台少年宮にいきます。そのうち、あの監視員の姿がもバスから消えてしまいました。
少年宮という物は、子供たちが、校外学習の場所なのですよ。我々中国にも良くあるのです。ここでは、子供たちは、舞踊、美術、模型造り、パソコン及び武術などを習う場所ですよ。日本の学校のクラブ部活動という物と似ていると思います。
少年宮のいる入り口は、このような銅像に飾られています。
この可愛い女の子が我々を迎えてくれました。
琴を習っている子供たちです。
すべての室内には、故金日成主席、金正日委員長の肖像掛図があるのですよ。太鼓を叩いている方は、言わなくても指導先生であるとお分かりですね。この肖像掛図は、私も欲しいのですが、国からの提供ですので、売ってはいけないと言われ、諦めてしまいました。
アコーデイオンを引いている幸せな少年宮の子供たち。
絵を綺麗に書いている子供です。
先生から熱心に指導されている刺繍の子供たち。
子供たちの刺繍作品が壁いっぱいに飾っています。
一通りの見学が終わって、次は出演です。民族の服装をしている先生が劇場の入り口に立って私たちを待っています。
少年宮劇場に入りましたら、後方の席には、すでに数人の子供たちが座っていました。
子供たちが出演した舞踊は、さすが世界一流だと思います。
金正日委員長が手を振っている背景画で舞踊の演出が終わりました。我々中国人の観光客は感動され一生懸命に立って拍手しました。
少年宮の外の風景も、とても綺麗です。
少年宮から出てきた我々中国人の観光客です。北朝鮮旅行は、我々中国人に対しての魅力が見えますね。
市民の交通道具は主に自転車ですね。そして、ちゃんと信号を守っているようです。
これは、移動中のバスから撮ったお店です。我々外国人観光客は、このようなお店に入ってはいけないのですよ。とても残念に思います。しかし、外観の写真だけを取れてもとても嬉しいです。
これは、交通違反で捕まれた場面です。同じバスに乗っている観光客の中に、私一人だけがこのような場面を撮られたのですよ。
道端の商店の屋根を修理している場面です。
真夏の強い日差しの下でも、朝鮮婦人たちは、あまり傘を差さないようです。
政治看板の左側には、婦人たちは、板をペンキで塗っていますね。その建物の手前には路地に入って、また外国人専用土産物屋さんがあります。ここでは、帰国する前の最後の買物だと言われました。しかし、私は買物より店外の風景が好きですから、店に入ったらすぐ出てきました。
道の向こう側の風景です。青いテントには、ソフトアイスクリームを売っているらしいです。
政治看板の後方には、地下交差点の出入り口です。素晴らしい事ですが、平壌は交通渋滞を殆ど見られません。
道端でバスを待っている市民の皆様。ちなみにバス代は、距離の遠近と関係なし一律にして2WONです。
市民たちが待っているバスはこれです。いつも満員のようです。
一日の観光が終わり、ホテルの窓から見下ろした平壌の遠景はとても綺麗です。
ホテルの庭からの遠望もなかなか素晴らしいです。
北朝鮮旅行の最後の夕飯は、このホテルの最上階の 円形の回転ラストランでした。 食事をしている間、我々中国人の添乗員さんがやってきて、上海人!(北朝鮮旅行の間に私の名前は上海人)と呼ばれ、今晩、あなたは少なく三杯の酒を飲め!と言われました。この三杯を飲んでくれれば、平安無事を保証しますよ!この三杯を飲んでくれないと大変なことをあなたに待っているよ!と彼は冗談を言ってくれました。どうして飲め!と言うのと私が聞きましたら、彼は、日頃、あのポロポロの建築の場面を写真に撮ったじゃない?ホテルに戻ってきましたら、北朝鮮の国家安全局の四人は、私に、あなたがいったいどんな人物なのかを聞きに着ました。良く説明してあげましたから、あなたは、何事もなくなったのですよ・だから飲め!と言うのですよ。この話を聞いて、あの監視員さんが写真検査を断ってから、ずっと強張っていて、途中にいなくなったことを思い出しました。やっぱり上司に報告する為に帰ったのだということも分かりました。こんな事を言われてから、回転レストランの風景を撮ろうとする意欲も無くなり、せっかく綺麗な平壌の夜景も展望できる食事も美味しいと思わなくなりました。
四日三泊の北朝鮮旅行の最後の日の朝、平壌羊角島国際ホテルからの鳥瞰図です。
平壌羊角島国際ホテルの一階です。
一階のロビーに飾ってある掲示板です。
ホテルの一階の売店に売っているタバコです。値札に書いているのは、ユーロの価格です。
一階にある本屋が売っている書類です。
2005年7月29日朝食後、バスに乗って、平壌駅に行きます。 駅に着く前には監視員さんたちは、写真を撮ってはいけないよ!と強く注意されました。これは、駅の中に外国人専用待合室の売店の窓から撮った駅前広場の様子です。
駅前は、この角度から見ると大して乱雑ではないのですが、実際メチャクチャ込み合っているようです。良く錯覚しますが、あの屋根の上に付けている物は、商業広告ではないですよ。この点と強く強調します。私自身も、いつも商業広告と錯覚してしまいました。
駅の外国人専用待合室の売店の外貨レートを見てみましょう。4.75WON=025Euro即ち179W=1Eです。このレートと昨日案内された店のレートと少し違いますね。お店によって外貨レートが違う事はオフィシャルレートがない証拠だ思われます。 まもなく乗車しました。
これは、帰り列車のお昼弁当です。まあ〜!こんなもんでしょう。
午後5時頃、新義州駅に着きました。途中、誰々が撮影をしてはいけない注意を聞かないので、カメラが取られ、罰金を払ってから初めて、返されたような話も聞きましたので、怖くて一枚も撮らなかったです。ここに来てすぐ自国だと思ってまたカメラを密に出して撮った写真です。
自国の列車を待っている様子
旅行がここまで終わり、自国の列車に乗り換えている我々中国人の観光客たちです。満足しているような表情ですね。
駅から出発して丹東市に向かっています。
この河の左側は、北朝鮮の新義州です。右側は、中国の丹東市です。
2005年7月30日 北朝鮮から丹東市に戻ってきた翌朝。丹東市にある抗美援朝記念塔に行きました。
塔の下の記念品売り場には、北朝鮮の紙幣やコインも売っています。5枚セットは50元≒750円です。5枚コインは、10元≒150円です。
丹東市民では、バトミントンみたいなケマリを蹴るスポーツが流行っているようです。老若男女問わず全員が蹴っているようです。
抗美援朝記念塔から見下ろした丹東市。
抗美援朝記念塔が終わって、鴨緑江辺に行きました。一人だけで小さい観光用ポートを乗りました。これは、鴨緑江中から撮影した丹東市です。
鴨緑江の中には、戦争期間中に爆発された橋の柱がこのまま残っています。
鴨緑江の向う側は、北朝鮮の新義洲です。新義洲の遊園地の遊具も見えてきましたね。
この方向は、我々中国の丹東市です。鉄橋は、抗米(朝鮮)戦争中に爆弾に命中されて、断橋になりました。断橋が爆断されてから、新たに左側の鉄橋を造ったそうです。新橋の建造は1943年です。朝鮮戦争で破壊されたときにはすでに存在していました。同時に新橋も破壊されていますが、修復されて現在に至ります。
新義洲の川辺は、緑いっぱいです。
緑の中には、このような綺麗な建物もあります。誰が住んでいるのでしょう?
このような田舎風景は、大都会に大きくなった人私にとって何よりも 憧れています。
鴨緑江で泳いでいる北朝鮮の子供たちと中国人の観光ポート。
川辺に停まっている北朝鮮の船です
近づいて、北朝鮮の船を見ましょう。
軍艦も停まっています。
この兵隊さんは、国境を守衛するより、ナンパのほうに集中している のではありませんか。
すごい!すごい!このポロポロのクレーン船もちゃんと働いています
同じ鴨緑江辺の丹東市は、緑が少ないですね。
川辺にある丹東市の道路です。
向う側と鮮明な対比になりますね。
丹東市側の風景です。
こちらの丹東市は、北朝鮮と比べると、あまりにも明るくて賑やかです。
ここは、鴨緑江公園の断橋です。
ここから鴨緑江の向う側の新義洲もかすかに見えます。
断橋が爆断されてから、新たに左側の鉄橋を造ったそうです。
中国の物質が満載している列車が北朝鮮に向かっています。
この鉄橋を通り抜けましたら、すぐ新義洲駅です。
この赤い屋根の建物は、丹東駅です。
長々ですが、<北朝鮮見聞録>を最後まで御覧頂き、誠に有難うございました。ご質問やご感想
ご意見などがありましたら、どうぞ、ご遠慮なく(ブログ)にご投稿ください。また北朝鮮に行きたいと思っていますが、北朝鮮の物が欲しい方があれば、どうぞご相談なさってみてください。
中国人の私が書いた日本語の説明文は、きっとおかしい所もあると思いますが、どうぞご指導を賜りますようお願い致します。