横田めぐみ 1964年10月5日生

1977年11月15日 (S52/11/15) 新潟で拉致さる。(13)待ち伏せ=非常に計画的
1978年07月31日 拉致 中央大学法学部生、蓮池薫(20歳)、化粧品会社社員、奥土祐木子(22歳)
                          蓮池薫氏の兄の透は東京電力社員で原子力発電の専門家
1978年08月12日 拉致  電電公社職員、市川修一(23歳)、鹿児島の事務員、増元るみ子(24歳) 
1978年08月12日 拉致  佐渡の准看護婦、曽我ひとみ(19歳) 
横田さんとは拉致から1週間後に初めて会い5カ月間、その後再会して7カ月間一緒にいた。
さらに最後には80年の5月か6月ごろに会ったという。お互いのことは聞かないことになっていた。
一緒にバドミントンなど運動をした。横田さん以外の日本人には会ったことはない。
横田さんと最後に会って2カ月後に英語の勉強のため米国人の現在の夫と会った。
今は生活費は国の支給で、招待所暮らしのため、家族と関係者しか会えないという。


1979年   平壌の招待所で曽我ひとみさんと7ヶ月間同居(曽我証言)
1980年 5月か6月 平壌の招待所で曽我ひとみさんと最終的に別れる(曽我証言)★ 


1979年、呉振宇の同意なしに48才の若き呉克烈を人民軍総参謀長の席に座らせた。
1980年10月の第6次党大会で、金正日は朝鮮労働党中央軍事委員に選出された。
(これにより1974年に公式な後継者として指名された以後、軍に対する影響力までを
確固として掌握するようになった。
しかし金正日には越えるべき「山」がひとつあった。それが呉振宇だ。)
(1987年春、呉振宇が不意の交通事故。頭蓋骨が割れ、意識を失う重体。)
●金正日が史上類例がない一人独裁体制を殆ど完壁に構築している!!

1981年   田口八重子さんと84年まで同居 ★(北朝鮮発表)★
田口八重子さんは81年7月から83年3月まで、金賢姫と同居していた ★(金賢姫証言)★ 

    金正日(北朝鮮書記)の誕生日(2月16日)の晩餐会に、日本人女性として特別に招待された
    ことがあり、そこで自分達と同じようにら致されてきた日本人夫婦と会ったことがあると言った
    が、この事実は他の人には絶対に漏らさないようにとクギを刺した。(金賢姫証言)


1980(S55)5月か6月まで曽我ひとみと同居していた。

1982年1月8日 金正恩誕生?
1983年1月8日 金正恩誕生 (めぐみ19)          

1984(秋)-1985
    めぐみさんと八重子さんは、女性工作員と同じ住居で生活しながら日本語を教えさせられていましたが、
    この女性工作員は「スクヒ」(金淑姫)という名前で、大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚とともに、
    海外で工作活動をするための教育を受けていたエリート工作員だったということです。
    めぐみさんらがこの工作員に日本語を教えさせられていたのは、昭和59年から60年にかけての一時期で、
    八重子さんは一緒に日本の雑誌などの翻訳もさせられていたということです。
    拉致被害者が海外で活動する工作員の教育にもあたらされていたことで、日本人拉致が北朝鮮の工作活動
    に深く結びついていたことがあらためて明らかになりました。84年秋から86年7月

1984(秋)-1986/07(S59~S61)
   李恩恵(リ・ウネ)こと田口八重子さん=同(22)=と同居(地村富貴恵(49)証言)
   同じ地区(平壌南部郊外の「忠龍里(チョンリョンリ)」)に地村保志さん(49)一家と
   蓮池薫さん(47)一家も住む。

1984年6月 北朝鮮の元工作員・金賢姫元死刑囚(48)「1度だけめぐみさんと会った。
          長袖のブラウスを着ていましたから」
     「その後、妊娠中のめぐみさんの写真を見たことがある」
           金元死刑囚が拉致被害者・横田めぐみさんに日本語を教わっていた金淑姫(スクヒ)元工作員
           と一緒にめぐみさんと一度会ったのは「84年だった」と証言したと話した。

     北朝鮮は大韓航空機爆破事件をでっち上げとし、金元工作員のことを「ニセ者」と
     主張し続けている。だが、今回の面会は工作員養成の過程で金元工作員や
     「淑姫」とめぐみさん、田口さんに強い結び付きがあったことを証明し、改めて
     北朝鮮の主張の矛盾を突き付けた。


	zeraniumのブログ
	(http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-5fd3.html)
	 2010年7月に、あの大韓航空機爆破事件の金賢姫(キムキョンヒ)が
	初めて来日しました。この時に、「日本政府は何も情報を引き出せなかった」と
	世間ではバッシングされました。しかしながら日本政府は重要な情報を引き出し
	ているはずであり、本当に重要な情報は、そう簡単には公にはしないものなの
	です。では一体、どんな情報を引き出したのでしょうか?
	 私はそれをつかもうと、さまざまなメディアをつぶさに見た中で、これだと確信した
	のが、金賢姫(キムキョンヒ)の語った次の話でした。
	「私は金淑姫(キムスクヒ)と、日本語の指導を受けるために横田めぐみさんを
	訪ねたことがある。その時、めぐみさんは妊娠していたようで、顔色が悪く、痩せ
	ていた。話も弾まないし、気まずくなって、そのうち皆黙ってしまった。・・・。
	それがめぐみさんに会った最後です。」

	 この話を聞いて私は直感的に「おかしい」と思いました。
	 なぜなら金賢姫は、1987年の大韓航空機爆破事件以後には北朝鮮に帰った
	ことがありません。そして横田めぐみさんを訪問したのは、大韓機爆破事件の1987年
	より何年も前のことです。めぐみさんの子供であると確認されたキムヘギョンちゃんが
	1987年生まれですから、金賢姫が訪問した時にめぐみさんが身ごもっていた子供は、
	キムヘギョンちゃんではありません。では訪問時、めぐみさんが身ごもっていたのは
	誰なのでしょうか?

	 実はその時に、めぐみさんが身ごもっていた子供こそ、1983年生まれの金正恩だ
	と思われます。めぐみさんは19歳くらいの時に正恩を生んだと思われます。その後、
	めぐみさんは26歳の時に、家庭教師として金ファミリーと一緒に暮らすようになったと
	言われていますが、それはあくまで対外的な理由であり、自分の子供や夫と一緒に
	暮らすようになったということなのです。金正日は、「正しい日本の子供」という意味を
	込めた名前であり、後継者と目されている息子の金正恩は「正しく(日本に)恩を返す」
	という意味の名前です。これは親子二代による、日本へのメッセージにほかなりません。



1986/04 蓮池さん 日本へ行く?              

1986/08/13(S61/08/13)  日本語を教えた「キム・チョルジュン」(偽名)と政略結婚、
「日本語を学ぶために知り合って6カ月後にプロポーズし、 1986年8月に結婚した

1987/09/13(S62/09/13) ヘギョンさん誕生

1987/11  大韓航空機爆破事件

1987/08-1994(S62/08-H06) めぐみ一家は62年8月、蓮池一家や地村一家が住む平壌・太陽里の招待所
          に引っ越し、平成6年(1994年) まで同じ地区内で生活していた。

1993                                  めぐみさん「93年から別居」蓮池さん夫妻が新証言 
1994/03       蓮池、94年3月、義州の精神病院に入院する準備を手伝った
1994/04/13  めぐみ死亡

拉致被害者の横田めぐみさんと田口八重子さん、それに蓮池さんと地村さん夫妻の6人は、
昭和54年以降、ピョンヤン市近くの「チュンリョンリ(忠龍里)」と呼ばれる地区に集められ、
数年間にわたって工作員の日本語教育にあたらされていました。これは、蓮池さんや
地村さん夫妻が、めぐみさんや八重子さんの家族に話した内容からわかりました。
この当時、めぐみさんと八重子さんは、女性工作員と同じ住居で生活しながら日本語を
教えさせられていましたが、この女性工作員は「スクヒ」という名前で、大韓航空機爆破
事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚とともに、海外で工作活動をするための教育を
受けていたエリート工作員だったということです。
めぐみさんらがこの工作員に日本語を教えさせられていたのは、昭和59年から60年に
かけての一時期で、八重子さんは一緒に日本の雑誌などの翻訳もさせられていたと
いうことです。拉致被害者が海外で活動する工作員の教育にもあたらされていたことで、
日本人拉致が北朝鮮の工作活動に深く結びついていたことがあらためて明らかになりました。



この正恩だが、後継に据えるための箔付けは、非公式には既に始まっていたのだ。
韓国国家情報院筋がいう。
「正恩の生年月日は1983年1月8日とされてきたが、最近になって1982年生まれであると
いう説も流れ始めた。これは、2012年に、祖父・金日成の生誕100周年があるので、
その時にちょうど30歳を迎えるように“調整”していると思われます」
また、正恩の生みの親は高英姫(故人)とされてきたが、国防委員会課長の肩書きを持つ
金玉であるとも囁かれており、「生誕に関する情報を詐称することで、最高権力者に
ふさわしい経歴を作り出そうとしている」(同前)のだという。



めぐみさんは夫とされる人物と一九八六(昭和六十一)年八月十三日に結婚した。
翌年九月十三日にキム・ヘギョンさん(17)を出産した。ヘギョンさんとめぐみさんが
親子であることはDNA鑑定によって、確認されている。

横田(よこた) めぐみさん
1964年10月5日生
新潟県新潟市
当時 新潟市立寄居中学校1年生(13歳)
* 1977年11月15日、中学校の部活動を終えて下校中、新潟市内の自宅近くで友人と別れた後、
消息を絶つ。
* バドミントン部に所属していた。
* 朝鮮名は「リュ・ミョンスク」。
* 1977年11月から1986年7月まで招待所で暮らす。
* 1986年8月13日、会社員キム・チョルジュ(現在41歳)と結婚。
* 1987年9月13日、娘キム・ヘギョン(現在15歳)が生まれる。
    平壌市内万景台区域タンサン(堂上)洞に居住している。
* 1993年1月29日、鬱病のため夫に連れられ平壌市スンホ(勝湖)区域49予防院に入院したと伝えられる。
* 1993年3月13日午前、同病院内で散歩中、南寿岩主治医が目を離した間に、着物を裂いて松にかけ
     首を吊って自殺したと伝えられる。
* 墓は死亡した病院の裏手にあったが、数年前に夫キム・チョルジュが移した。
現在の墓の場所はわからないという。

* 北朝鮮への入国経緯は、「1977年11月15日、新潟市内で工作員が学校から帰宅途中のめぐみさん
に会った。工作員は身辺の露出の危険性を感じ、露出を防ぐために同女を拉致した」と発表された。
* 一般的に北朝鮮の特殊機関は、所属に関係なく軍事化されており、命令を実行した者は責任を
問わないことになっているが、本件の実行犯は命令なく恣意的に行動した者であり、職務停止処分を
受けているという。
* 1988年頃から1991年にかけて金日成政治軍事大学において目撃したという証言があるが、
  北朝鮮側はこれを「事実無根」と否定している。
* 北朝鮮入国直後、曽我ひとみさんと同じ招待所で暮らしていた時期がある。
* 2002年9月17日、平壌で梅本和義駐英公使がキム・ヘギョンさんと面会した際に、
                      めぐみさんのものとされるバドミントンのラケットが提示された。

帰国の拉致被害者証言 田口さん「めぐみさんの面倒みたい」
 産経 09年3月10日 ■工作員と3人 2年間?同居

拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が北朝鮮の女工作員と同居しながら日本語教育に従事させられていたところに、田口八重子さん=同(22)=が「めぐみさんの面倒をみたい」と希望して合流し、一時3人で暮らしていたことが9日、帰国した拉致被害者が政府関係者にした証言で明らかになった。
 時期は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(47)に日本人化教育をした後の昭和59年前後。めぐみさんと田口さんが同居していたことは既に判明しているが、その一部は女工作員との同居だったことになる。帰国被害者によれば、めぐみさんと田口さんは59年前後から61年夏ごろまで同居。このうち60年ごろまでは女工作員も一緒だったことが新たに判明した。女工作員は金賢姫元工作員の同僚の「金淑姫(キム・スクヒ)」。銃や爆弾などの取り扱いも訓練した女スパイだった。田口さんが自ら北朝鮮当局に「めぐみさんの面倒をみたい」と切り出したことは、それ以前にめぐみさんと面識があったか、同居したことを示唆している。当初は「田口さん-『金賢姫』」と、「めぐみさん-『金淑姫』」の2通りの組み合わせで工作員教育をさせられていた疑いが強まった。金賢姫元工作員は最近になって、「めぐみさんと『淑姫』が写った写真を見た」と証言している。

 田口さんは3人で同居するまで、「(金賢姫元工作員との生活を終えた後)しばらく1人で生活した」と話していたことも新たに分かった。北朝鮮側は、田口さんは「61年7月30日に交通事故で死亡した」としているが、帰国被害者は「62年に運転手から、外貨商店で田口さんと会い、人民武力省のナンバーの車に乗っていたのを見たと聞かされた」とも話している。

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090310/kor0903100134002-n1.htm


安明進・元北朝鮮工作員(実は、韓国国情院要員)が偽情報をマスコミに流して世論を欺く
決定的な役割を果たしたことは今や明らかである。
------------------------------
 拉致被害者の蓮池薫さん(47)・祐木子さん(49)、地村保志さん(49)・富貴恵さん(49)
の両夫妻が、1980年代半ばまで暮らした平壌郊外の集落に、同じような立場の人が
暮らす「招待所」が少なくとも7戸あったことが7日、関係者の証言で分かった。

 両夫妻は、安否不明の増元るみ子さんの消息などについても、北朝鮮側の説明とは
異なる証言をしていることが判明。警察当局は、両夫妻が見聞きしたことを詳しく検証すれば、
新事実が浮上する可能性が高いとみて捜査を進めている。

 問題の集落は、平壌南部郊外の「忠龍里(チョンリョンリ)」。周囲は鉄条網と塀で囲われ、
歩哨が出入りを見張る中、「招待所」と呼ばれる一軒家が少なくとも7戸建ち、監視下に
置かれた人たちが世帯単位で暮らしていたとされる。

 両夫妻が帰国後、関係者に語った証言によると、この7戸は、1号舎~7号舎と名付けられ、
80年には、結婚したばかりの蓮池さん夫妻(78年7月に拉致)が1号舎に、地村さん夫妻(同)
が7号舎に入居した。

 4年後の84年秋になると、別の集落で一緒に生活していた田口八重子さん(78年6月に拉致)
と横田めぐみさん(77年11月に拉致)が3号舎で暮らし始め、翌年には、蓮池さん夫妻は6号舎
に、地村さん夫妻は4号舎に転居するよう命じられた。

 その直後、近くの5号舎に「工作員」だという北朝鮮の男性が入居してきた。
エリートとされる工作員が招待所で暮らすのは異例で、めぐみさんは北朝鮮当局に指示され、
この男性に日本語を教えることになった。
86年春に田口さんが病気で入院すると、男性はめぐみさんの3号舎に移って、2人は間もなく結婚した。

 86年7月になると、蓮池、地村両夫妻は平壌北部郊外の「大陽里(テヤンリ)」という集落への
移動を命じられ、12月には、めぐみさんと夫もこの集落に転居したが、田口さんのその後の消息は
分かっていない。

 さらに関係者によると、蓮池祐木子さんは当時、身の回りの世話をしていた北朝鮮の女性から、
市川修一さんとともに拉致された増元るみ子さん(78年8月に拉致)とみられる人物について、
「あなたの知っている日本人女性が出産したらしい」と消息を聞いたという。
これは、「増元さんは81年8月に死亡し、子どももいなかった」とする北朝鮮側の説明と大きく
矛盾している。

 めぐみさんと結婚した男性の名前についても、両夫妻は、本人から「キム・ヨンス」と聞いており、
北朝鮮が、めぐみさんの夫の名として説明した「キム・チョルジュン」とは異なっていた。

 蓮池、地村両夫妻が、忠龍里の1号舎と7号舎で暮らし始めた時、残りの招待所に誰がいたのか、
そこから転居した後、誰が移ってきたのかなどについては今のところ不明だが、家族連絡会の中から
は、「ほかにも、北朝鮮が認めていない拉致被害者がいたのではないか」との指摘が上がっている。
めぐみさんの弟、拓也さん(36)は「北朝鮮の主張を覆す重大な事実が依然として埋もれている
可能性があり、真実究明には、今後も両夫妻の協力が欠かせない」と話している。
----------------------------------
-----------------------------------
Nさん
あなたが紹介してくれたサイトは、拉致問題で最も衝撃的な
サイトの一つです。
なにしろ…、
86年3月下旬、蓮池さんが極秘で来日し、愛知県西春町に来て、
某小学校の教師を拉致しようとした話で、しかも、奇妙に辻褄が
あい、信用できる! という話なのですから。

蓮池さんが、ある日本人教師を拉致しようとしていた! という
このサイトの内容をについては、政府も中山恭子を派遣して、
調査をしています。また、蓮池さんも内容を完全否定した上で、
厳重に抗議しています。

しかし! 疑念は消えない! 逆に、疑惑が深まった!
と私は考え続けています。

疑惑が深まったというのは…、
横田めぐみさんの「夫」になった人物は、工作員村で蓮池さん
の家の、隣の家に住んでいました(蓮池夫妻の証言)。
この隣同士の工作員は、横田めぐみさんや田口八重子さん
の監視役もやっていました。

もちろん、横田めぐみさんも工作員になっていました。
そして、金賢姫の同僚である「スクヒ」なる女性工作員の
「日本人化教育」のセンセーでした。

横田めぐみさんは、たんなる日本人教師ではありません!
蓮井さんや、キム・チョルジュと一緒に、同じ工作員村に
住んでいた工作員なのです!
このことを、しっかりと認識し、蓮井さんは全てを告白する!
地村さんも全部シャベる!
そうでない限り…、
横田めぐみさんの拉致問題は解決しません!

それから…、
じつは、金正日自身も工作員の親分で、拉致やKAL爆破の
指揮をとっていました。
工作員達の世界(ウラ社会)で…、
金正日と横田めぐみさんは夫婦でした!

キム・チョルジュ(金英男?)は、工作員の幹部ですが…、
金正日に命じられ、偽装・政略結婚をしたのです。

金英男の韓国にいる家族の髪の毛と、横田めぐみさんの
臍の緒のDNAを調べたら…、
父子関係にある可能性が高まった! ←この日本政府の
発表はインチキです。謀略です。

ヘギョンさんは、金正日の娘です!

                           飯山 一郎
----------------------------------