故高畠通敏教授 … わが青春時代の”神”.そして永遠の恩師 …

わが青春時代の”神”.そして,永遠の恩師

                    「私の祈り」
嘆き悲しむことはない。これから私の魂が赴くところは、この世よりも遙かにいいところかもしれないではないか(ソクラテス)。逝ける者に幸いあれ。彼らは、怒りも恐れもなく、憎しみも妬みもなく、苦しみも痛みもない永遠の世界へと入っていったのだから(ブッダ)。そして、あなた達が私を思い出す時、私はいつでもあなた達の傍らにいる。願わくは、時の浄化作用によって私の卑小な部分が忘れられ、いつも暖かい感情とともに、あなた達によって思いだされんことを。
                                      高畠 通敏

房総半島で決まった私の人生

(左上:高畠通敏師) (右上:小林知也氏) (眼鏡で舌だしている男:私) --- 房総の民宿にて ---


          『房総半島で決まった私の人生』

                                  飯山一郎

  30数年前の真夏。8月初旬。
  高畠師、小林知也氏、私。この3人が、それぞれの家族を連れて
 千葉・房総の海の家に集った。
  昼間は子供たちのため、3人とも良い父親役を懸命に演じた。
  夕食会は、知也氏のあの独特の漫談で、大いに盛りあがった。

   夜。海遊びに疲れた子供たちが寝たあとは、高畠師の独演会に
 なった。それは知的興奮に満ちた、まさに博覧強記!人間世界の
 あらゆる事象に胸のすくような解釈を加え…、私の目からは無数
 のウロコがハラハラとこぼれ落ちた。その夜、高畠師は文字通り
 の『知の巨人』だった…。

  私への「攻撃」も強烈だった。
  基礎文献の夏休みの宿題論文を克明に覚えていてくれて、罵倒
 にちかい痛烈な論評をしてくれた。ほんの僅かだが褒めてもくれた。
  「飯山君は発想が独特でいい。これを伸ばせ!」と。

  「どのような生き方と勉強をしたら、もっと伸びられるか?」
 と高畠師に問うと、
  「外国に行くことだ」と明快な答。
  「知也さんはアメリカに行ったけど、成長してないなぁ…」
 と冗談チャリを入れると、高畠師は、
  「知也は日米を往復しただけ。外国に住むことが肝要!」
 と真顔で答えてくれた。

  この夜、高畠師は次の『3原則』授けてくれた。
   1.外国に住むこと。
   2.乱読すること。
   3.生活のための仕事はしない。

   突然、酌婦みたいに同席していた私の妻が叫んだ。
  「高畠先生! わたし、飯山一郎に『3原則』守らせます!」

   …房総の一夜。私の人生航路は決定され、以来『高畠3原則』
 を飯山一郎は忠実に守ってきた。
  私が放棄した栃木の家業は、女房が忠実に守ってきた。

   自由奔放(=勝手気儘)な私の人生。まことに仕合せな人生です
 が、これ全て高畠師の御蔭! だから8月は、高畠師感謝月間。

   だからって、おべんちゃら茶坊主になるのではなく、言うべき
 ことはビシビシ書いていきましょう!
                           (2005/08/05 11:26)
 




済州島にて

房総での高畠師の写真は,私の『セーマンドーマン』だ.(済州島にて 2006/11/07)




♪終着駅から / (C)Kaseda Music Labo,2002 /