と言って、私とは話しをしてくれなくなった誠実な公務員の男性がいたくらいであった。
しかし、もう少しのご辛抱をいただきたい。別段私はウソを特段に奨励しているわけではない。いや、少しは奨励しているかもしれない。たとえば、ほんの些細な子供のウソ。
「お母ちゃん、おなかが痛いから学校休む」こんなウソは、母親なら子供をよく見ているからすぐに見破れる。しかし、
「どーしてウソをつくの! 駄目! 学校に行きなさい!」
と怒鳴ってはいけない、ということなのである。ここは、いったんはダマされたほうがいい、と言っているのである。つまり、
「あーら可哀相! 休んだほうがいいわ」
と出る。そして、楽しい会話の時間をもつ。子供は母親のあたたかな優しさにふれて、きっと学校へ行く勇気がわいてくるはずだ。
そしていつの日か、
「ウソだとわかっていたけど、あなたと一緒にいたかったから学校を休ませたのよ」
と告げるといい。必ずや子供は、母親というオトナの人間がもつ偉大さと心の深さを知ることになる。
こういうことは、夫婦間にも、恋人どうしにも、友人関係にもあてはまる。BBSのなかでの人間関係についてもそうだ。些細なウソはメクジラたてて排斥すべきものではないのである。 |
明治時代のリーダーはウソを嫌う下級武士 |
ところで、何としても排除しなければならないものがある。それはイツワリである。
イツワリというのは、自己の利益のために人様をおとしいれる悪質なダマシのことだ。
私は、このイツワリを厳しく排斥し、激しく否定する。
ウソとイツワリの区別は、明治時代以来、あいまいになってしまい、ウソとイツワリは両方とも排斥されるようになってしまった。これは、明治時代のリーダーたちが江戸時代の下級武士層出身者であったことと関係がある。
武士はウソを嫌う。ウソをつかない! これは、武士の重要な道徳倫理だった。戦場で生きるが武士であって、「イザ!鎌倉」というときのために日常生活においても戦(いくさ)の鍛錬をし、心構えをピチッと固めておく……これが武士の勤めとされていた。
武士としての心構えでまず大切なことは、ウソを絶対につかないことだった。ヘラヘラと笑わない、ということも武士としての大切な心構えの1つだった。命がけの戦場で武士がウソをついたり、ヘラヘラと笑っていたのでは戦争には負けてしまうのである。戦争に負けることは、自分だけでなく一族郎等が全て滅ぶことを意味するから、武士たちにとって自分たちの道徳倫理を守り、強固なものにすることは、まさに生命が賭けられていたことなのである。
明治以来、こういう武士たちがリーダーとなって日本の国家社会がつくられてきたわけであるから、道徳も倫理も文化も芸術も、その根底には武士の精神が流れている。
何かというと「切腹」と言う政治家たち、「いさぎよさ」を賞賛し、ウソを極端に嫌う社会的風潮、……いまだに日本には、武士の倫理が生きているだ。 |
民衆は「ウソも方便」を採用
ウソ・ハッタリ大会で芸競う |
いっぽう、町人や農民はどうであったかというと、これは「ウソも方便」という文化である。窮屈な江戸封建社会のなかでは、人と人との関係も窮屈になりがちだった。当然人々はイライラし、喧嘩も発生しやすかった。
「喧嘩と火事は江戸の華」とは、実は、江戸の暗さを明るく言っただけなのだ。こうした人と人が衝突しやすい窮屈社会において、ウソは、またとない潤滑油だったのである。
江戸のムラ社会も、町民の社会と同じような閉塞した社会だった。記録によると、ムラでは「ウソ・ハッタリ大会」といった催しがよく開催されていたようである。面白いウソをついた者や上手に「大風呂敷」を広げる者たちがたくさん集まってきて芸を競っていたのだ。
もちろん、町民の社会でも、農民の社会でも、イツワリは厳禁であった。さらに、人々はウソとイツワリを区別し、ウソとイツワリを見抜く眼力をもっていた。そして人間関係が凶悪になりそうなとき、軽いウソや冗談を言って、お互いに難を逃れた。
……現代。新聞の社会面には、ほんの些細な屁でもない事が原因で、血が流れる喧嘩になってしまった、という記事が連日のごとくでている。これはほとんどが「ウソも方便」という知恵のない人達の悲劇なのである。 |
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ああ、また今回も「常識」に激しく挑戦してしまった。私が今回述べた「ウソの効用」、シャクにさわる方は、以上の全てがウソ! と思っていただきたい。(笑) |