羅城門や東寺、西寺の建設、さらには鬼門をガッチリと守る延暦寺を最澄に開山させるなど、今度こそ桓武天皇は、新京・平安京を完璧な“怨霊封じ”の都にしたのであった。この完成した新都・平安京を一言で表現すると“仏教と道教が融合した都”と言えるのではないか。 |
道教・仏教を併せた”理想京” |
古来、秦の始皇帝、漢の武帝をはじめとする神仙思想(道教)のとりこになった中国の皇帝たちは、地上の都を天帝の都とそっくり同じものを造ろうとした。
渡来人たちとの交際で中国の神仙思想に深い造詣をもっていた桓武天皇も、中国の帝王たちと同じ発想での都づくりを考えた。
実際、長岡京は、神仙思想に基づいた“理想京”づくりであった。これは、弓削道鏡一派によって堕落させられた平城京の仏教にほとほと愛想を尽かしたことの結果であった。(実際、長岡京には、新しい寺院が一つも造られなかった。)
しかし、この長岡京づくりは、藤原種継の暗殺事件によって失敗する。
今度こそ! “怨霊対策”に万全の備えをもった“理想京”を建設するために桓武天皇は道教だけではなくて、仏教も採用する。桓武天皇は、平安京に遷都すると直ちに「神泉苑及び東寺西寺を起ち将軍塚を築く。」(『本朝通鑑』)
この“将軍塚”の意味は何か? |
天皇制成立の根幹に道教あり |
中国では、西北の方向は異民族が攻め込んでくる方向だ。そのため、この方向には戦争に強い道教の守護神である“大将軍”が祭られる。これが“将軍塚”である。(この“大将軍”、現在は、平安京の御所の西北隅に当るあたりに町名として残っているだけである。)
さらに平安京と道教の関わりを述べると、例えば上皇のお住いである“仙洞御所”。これは完璧に道教の用語である。 皇室の先祖を祭る宮殿である“神宮”というのも、京都御所の“紫宸殿”も、その中央に置かれている“高御座(たかみくら)”も、全て道教の用語である。
“天皇”という言葉自体、本来は道教の神学用語なのである。道教の最高神である天皇(天皇大帝)は、その神聖性の象徴として二種の神器を持つとされる。そして、この二種の神器とは、鏡と剣である。
こうして考えてくると、天皇制は、その成り立ちの根幹に道教あり、と断言しても差し支えないと思う。(この解釈は、「道教は日本には渡来していない」し、「天皇家の奉ずる宗教は神道と仏教である」とする「世の常識」には反する考え方である。) |
仏教とは無関係の”墓参り” |
さて、道教信者・桓武天皇の遺言は、「早良親王の冥福を祈り続けよ」というものであった。それほど桓武天皇は実弟の祟りをおそれていたのである。
現代。私たちの心には、もはや怨霊をおそれるなどという気持ちはない。それでも、お盆になると、日本人はいっせいに帰郷して墓参りをする。そして、先祖の冥福を祈る。
本来、仏教には墓を建てるなどという考え方はなかった。だから、“墓参り”という宗教的な行為は、本来の仏教とは関係のないものなのである。
では、この“墓参り”という宗教行事は、一体どんな宗教なのか?
この意味を本当に知っているのは、実は、美智子皇后であると思う。
どうして? それは、私に電子メールをくれた人だけに教えてあげる、ということにしておこう。
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注)筆者のメールはiiyama16@hotmail.com |