名誉毀損罪や侮辱罪について、普段から無知まるだしの加納典明の愚かしい発言と比べると、島田陽子の物言いは最近では希なる大人のそれであると言っていいだろう。一方、「電波を通じてしゃべること」の重大さがいまだに認識できていないらしい加納典明の発言は、彼自身の人権意識の低さをいやがうえにも露呈させてしまったのである。 |
パブリック・スペースに”人の評判”を書く意味 |
次なる事例は、月刊誌『ざべ』11月号での中村正三郎の発言。これは、パブリック・スペースに人の批判を書くことの意味をまったく理解していないという文章のサンプルだ。
私や本誌の出版元であるエーアイ出版社が名前をあげられて非難されているが、その論調はというと、ほとんど罵倒モード。伝わってくるのは、彼の私憤にかられた口惜しさだけで、何の目的で人を非難攻撃しているのか中村自身が理解できていないようである。エーアイ出版社にいたっては、中村を批判する私の文章を掲載したというだけで侮蔑されている。
こうした中村の文章は、彼が人の名誉に配慮する心に欠けている人物であることの証明でもある。また、中村正三郎という人物には名誉に関する法律知識がほとんどない、ということがおのずと出てしまっている。 |
恫喝どころか笑いもの!
呆れた自民党の”告訴事件” |
もっともっと驚くべき話は、自民党が「東京佐川急便事件」の担当検事と裁判官を名誉毀損で告訴する、 と息まいた事件だ。この事件は”自民党が東京地検特捜部を恫喝するための政治的なパフォーマンスである”と解説する評論家がいたが、半分以上当っていない。
というのは、自民党の言動がまるで恫喝になっていないからだ。つまり、本当に告訴できるなら立派な脅しになったであろうが、法理論的にも法技術的にも告訴できないのである。そして逆に自民党は東京地検の検事たちに、「自民党も血迷ってきたな……」と平然とうそぶかれてしまった。
法廷における裁判官や検察官の法的に正当な職務行為を名誉毀損で告訴するという、自民党の何とも幼稚な法認識は、恫喝どころか逆に笑いものにされてしまったのだ。法律を制定する国権の最高機関たる国会に所属する自民党の国会議員にしてこの程度の法律知識なのである。お寒い、というほかない。 |
ボード上の無謀な悪罵は
名誉毀損罪や侮辱罪の対象 |
となると、私たちは“とんねるず”の石橋貴明や上岡龍太郎や加納典明を笑ってばかりもいられないのだ。
実際、私たちの身のまわりは「名誉毀損罪」や「侮辱罪」であふれている。パソコン通信という電子社会についても同じことがいえる。
『月刊アスキー』の11月号では山下さんという弁護士が「ネット上の名誉毀損について」と題して次のように述べている。
「パソコン通信は、これまで有名人などについてだけ起こりえた名誉毀損についても、すべての人が被害者にも加害者にもなりうるという可能性を作りだしたということができると思いますね。」
まさに弁護士の山下さんの言われるとおりで、パソコン通信のボードやチャットは「公然」の場であるので、人の名誉を傷つける発言は名誉毀損罪や侮辱罪の対象になるのだ。それなのに、このことを知らないまま、何の覚悟もなく、気分の成行きにまかせたメッセージを書いている人たちの何と多いことか! 名誉毀損罪で狙われたらそれこそ身の破滅になりかねないのに!
まこと“知らない”ということは大変に恐いことなのである。
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”名誉保護”への理解は
優しくタフな社会人の条件 |
ところで、自由主義を標榜する社会において、“言論の自由”は最大限に尊重されなければならない権利である。ところが人の名誉は、刑罰によっても保護すべき法益とされている。東西を問わず古代から人の名誉は重要な法益として保護されてきた。これは、”名誉のためには死をも選ぶ” という本質が人間にはあるからである。
「法は最低の道徳である」という言葉は、名誉に関する法律には完璧に当てはまる。法律の話が嫌いであっても、“人様を簡単に侮蔑してはいけない!”ということだけは、しっかりと認
識しておくべきであろう。さもないと、優しくてタフな社会人としては落第、 ということになってしまうからね! |