何の支障もないのである。というわけで、10グラムのヘモグロビンの必要性を説く医者が錯覚でモノをいっているといわざるをえないのである。 |
「輸血の効能」 疑問その2
さらに問題がある。保存血液の輸血は酸素の運搬には役に立たず、逆に酸素を運ぶ機能を悪化させることさえある。全身に酸素を供給させようとして行う輸血が、逆に酸素の供給をさまたげる場合さえあるのだ。このことを頑として認めない医者は世の中にたいへん多い。私は、相当に科学的な思考をするお医者さんと輸血の是非について議論をしたことがあるが、
「大量の出血には大量の輸血で対応すべきでそれ以外の方法はない!」
と、彼は最後まで言いつづけた。優秀な彼にしてこうなのだから、日本の医師たちの輸血に対する考え方はほとんど“輸血信仰”と言ってもいいほどである。3百万リットルを超す大量の血液の輸入は、実は“信仰”の産物であったのだ。
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「輸血の効能」 疑問その3
輸血にも「効能」がないわけではない。体内の血液の総量を増すという効果である。人が大出血をしたとき、ショックや死を防ぐために根本的に必要なのは、失われた体液の総量をいっときも早く回復することである。
人間は、1.5リットルの出血をしても、体内には60パーセントを超す赤血球がまだ残っている。この場合、もっとも必要なのは残された赤血球を全身に運搬するための液体なのである。それも心臓の機能を低下させないような液体が望ましい。この場合、輸血は最善の液体とはいえない。輸血の大きな副作用のひとつに“心臓の過重負担”というのがあるからである。げんに海外では、輸血よりも無血性の溶液を用いたほうが患者の容体が好転したという症例報告は多い。それなのに何故に日本の医師たちは相も変らず大量の輸血療法を続けているのであろうか?
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”権威のネットワーク”が”犠牲者”を増加させる |
日本の医師たちの“慢性輸血依存症”ともいうべき病気の病因は、日本の医療が“一方的な権威のネットワーク”を形成しているためである。日本のお医者さんは、権威ある上からの一方的な情報に発想まで支配されている。したがって、下からそして現場から古い常識を打ちやぶっていく考えかたが生まれてこないのである。
そうこうするうちにも“輸血の犠牲者”は増加の一途をたどっている。たとえばエイズがそうだ。安易に輸入された血液製剤によるエイズの感染者は血友病患者だけでも2千人をはるかに超えている。また、 ガンウィルスが病原体であると証明されている「成人T細胞白血病」(ATL)という血液のガンにいたっては、輸血だけで年間に何万人もの感染者がいまだに発生しているという。
非A非B型肝炎ウィルスは、まだ正体すら分かっていない。さいわい検査法だけは一応確立されて実用化されたため、輸血からの感染者は減少しているという。しかし、これは“一方的な権威のネットワーク”からの情報であるため、完全に信用してはいけないだろう。実際は年間に大変な数の感染者が今でも発生し続けているはずである。
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☆ |
以上、ことほど左様に輸血は恐いという話をしてきたわけであるが、別に私は「エホバの証人」ではない。けれどもいま、私はなぜかエホバ(=宗教)の輸血拒否のほうが正しくて、医師(=科学)の“輸血信仰”が宗教に思えてならない。 与謝野晶子は、
やは肌のあつき血汐にふれもみで
さびしからずや道を説く君
と歌ったが、昨今は“あつき血汐”に触れるのは、どうもヤバイことのようであるぞ。 |