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社説:08年を考える 責任感を取り戻そう まず政治から「公」の回復を

 マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし

 身捨つるほどの 祖国はありや

 寺山修司の短歌は高度成長期をはさんで若者の心を強くとらえた。これはとりわけ有名な歌である。

 50年代後半にできたようだが今日的だ。世界を覆う霧は今も深い。日本の心もとなさも同じではないか。

 日本と世界の混迷を振り返ると、そこには共通項がある。「責任」の欠如である。「公(おおやけ)」の感覚の喪失とも言えるだろう。

 まずは米国。唯一の超大国としての威信は昨年、大きく失墜した。政治的にはイラク問題、経済的には低所得者向け住宅融資のサブプライムローン問題だ。

 超大国の役割は「平和と安定」という世界のための公共財を提供することだ。高いコストを負担する国力が必要だが、米国は限界を明らかにしつつある。

 ◇露骨に国益追う

 サブプライムローン問題は米国が住宅バブルを放置した結果である。世界のリーダーとしての責任放棄だ。基軸通貨国としての信認が揺らぎ、ドル安が危険なまでに進んでいる。

 イラク戦争でも地球環境問題でも、米国がその理念と構想力で世界をリードするのが難しくなった。もう冷戦終了直後の精神的指導性を有していない。

 米国の混迷の間に、中国と資源国ロシアの台頭がめざましい。しかし、彼らが米国に代わって世界運営の責任を引き受けたわけではない。逆に露骨に国益を追うことが多く、世界の不安定化に拍車をかけている。

 世界の多極化にともない、核兵器の拡散、テロとの戦い、温室効果ガス削減などグローバルな問題は中国、ロシア、インド、ブラジルなど台頭する新興諸国に、どこまで国際公共財を負担させることができるかという問題になってきた。世界の将来はその説得にかかっている。

 責任回避は地球温暖化問題ではなはだしい。今日から京都議定書による温室効果ガス削減の第1約束期間(5年間)がスタートした。だが、議定書がカバーする排出量は世界の3分の1に過ぎない。「ポスト京都」では大排出国の米国、中国、インドの参加が不可欠だが、相互非難の応酬にとどまっている。

 しかし、無責任では日本も同断だ。「テロとの戦い」では洋上給油の再開か別の貢献策か、与野党は対立したまま合意から遠い。外から見える日本の姿もまた、責任感の低下した内向きの国ではないのか。

 国内では「偽装」事件の続発。老舗企業ですら商道徳を忘れ果てている実態が明るみに出た。そして「消えた年金」「防衛次官汚職」。責任を放り投げて恥じない人々の何と多かったことだろう。日本人の「劣化」という評もあった。

 慎重に留保を付しつつ、「公」の回復について、思いをめぐらしてみたい。

 わざわざ留保と言うのは、「公」の回復という言葉で復古的な国家優先主義を主張する人が多いからだ。私たちはそのような意味で「公」の回復を語ろうというのではない。

 公共心や公共への責任感は空から降ってくるわけではない。それは私たちが共通する課題にどう対処するか、平等な立場で、オープンに議論をたたかわせるなかで血肉となっていくはずのものだ。公共性に関する定説であろう。

 偽装の経営者にしても防衛次官にしても、公共心や責任という言葉を知らなかったはずがない。しかし、身についていなかった。前述の意味での「公」の過程を経ない借り物だったからではないか。「公」は誰かが与えてくれるものでなく、私たち自身が手探りで作っていかなければならないものだ。

 そして、討論の場といえば議会であり政党だ。「公」の回復をいうなら、まず政治の「公」である。

 折から「ねじれ」国会である。だが、その弊害を大連立で解消しようというのは賛成できない。「不都合な真実」かもしれないが、これも民意だからだ。

 ねじれの解消も民意、つまり選挙にゆだねるべきだ。ねじれの緊張関係の中で合意をめざし議論を練り上げていく。それが「公」の回復そのものであろう。

 ◇意見を鍛える

 メディアも同様である。インターネットへの期待は大きいが試行錯誤が続いている。新聞は「公」への意識を生み出す「広場」としての機能をさらに強化する必要がある。読者が意見を鍛えるために必要な情報をきちんと伝え、自由な意見交換を保障する場である。そのための潜在力を全力で掘り起こしたい。

 冒頭の歌に戻ろう。

 これは半世紀前、多感な青年が瞬間感じた「祖国喪失」の感覚だ。まだ日本が貧しかった時代。国に対する愛憎半ばする叫びが思わず口を突いて出た。

 時代状況は違うし個人的事情も異なるだろう。しかし、「祖国はありや」という切迫した歌の心を、いま多くの人が共にしているのではないか。日本には衰退の気分が広がり、年金の先行きさえ定かでないのだから。「祖国」を実感できる年としなければならない。

毎日新聞 2008年1月1日 東京朝刊